1983年発足からの歩み
【設立の意義】
原子爆弾の惨禍を身をもって体験した長崎市民は、国境を越え、人種を越え、考え方の相違を乗り越えて、全世界に向かって恒久平和の実現を訴える責務があります。
全ての社会秩序の根幹は平和であり、平和でなければ、文化の向上も、科学の進歩も、経済の発展も望めません。しかし、現実の世界情勢は、核兵器の増加拡散が、また局地的な紛争や東西間の緊張がとどまることなく続いています。
長崎市は人類史上最後の被爆地でなければなりません。長崎市民は、全人類的な視野に立って、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に寄与するとともに、人類の福祉に貢献することが必要であると考えます。
【沿革】
長崎を人類史上最後の被爆地とするため、初代理事長・秋月辰一郎氏の「小異を残して大同に集まる」との理念のもと、広く市民の参加を求めて官民一体となった任意団体「長崎平和推進協会」が発足。
国連軍縮週間に合わせて第1回「市民のつどい」を実施。
永続性、公共性の高い体制を樹立するため、任意団体から財団法人へ法人化。
団体設立1周年を記念した座談会や講演会の他、長崎県内で「語り継ごう原爆被災写真展」を開催。
被爆の痕跡を辿る「原爆慰霊碑巡り」を実施。
広島・長崎両市で「第1回世界平和連帯都市市長会議」を開催。
バチカン市国で原爆展を開催した他、「語り継ごう原爆被災写真展」で県内を巡回。
前年の「世界平和連帯都市市長会議」をきっかけに、ボランティア通訳を養成する「第1回ボランティア通訳研修会」を開催。
放射線科学者のジョーゼフ・ロートブラット博士による「国際平和記念講演会」を開催。
長崎在住の外国人協会会員を含む市民が平和をテーマに語り合う「第1回国際交流のつどい」を開催。 国際平和年(1986年)にちなみ、国連が制定した「ピースメッセンジャー(平和の使徒)」の称号を当協会が授与。
継承部会が、被爆者と子どもたちの“対話集”として、「ピーストーク きみたちに伝えたい」の発刊を開始。8月には2巻を発刊。
思想の違いを超えて平和を語り合う「第1回ながさき平和大集会」を開催。
原爆被爆の悲惨さを後世への記録として残すため「被爆者証言ビデオ」の制作を開始。
英語版「ピーストーク きみたちに伝えたい」を発刊。
会報「へいわ」50号を発刊
「外国人による日本語弁論大会」開催に協会も参加を開始。
協会設立10周年を記念してシンボルマークを公募し、鳩をあしらったデザインに決定。
長崎市と共催で、全国の青少年使節団が原爆被爆の悲惨さ・平和の大切さを学び、長崎の青少年と交流する「第1回青少年ピースフォーラム」を開催。
被爆50周年の記念事業として、県外の都市の平和展と共催という形で「県外原爆展」を開催。
核保有国5か国を含む国内外の軍縮大使・軍縮専門家などが参加する「国連軍縮長崎会議」を開催。
「長崎原爆資料館」が開館。
長崎市と共催で「長崎市少年平和と友情の翼」事業が開始。
原爆詩の朗読CD「第二楽章」を発表した吉永小百合氏を招いて朗読会を開催。
協会設立15周年を記念して、「ナガサキ平和創設グラント」事業を開始。
また協会の愛称を公募し、「長崎から平和を訴えていく翼となってほしい」との願いが込められた「ピース・ウイング長崎」に決定。
NTTのマルチメディア会議システムを利用して、の竹富小中学校(沖縄県)と長崎をつなぎ、継承部会員による被爆体験講話を実施。
協会の愛称「ピース・ウイング長崎」のロゴ決定。
月1回発行の情報紙として「情報BOX」の発行開始。
国内初の国際的な非政府組織(NGO)集会として「第1回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」を開催。
協会の活動紹介や入会案内、被爆体験講話等の申込書などを掲載した協会ウェブサイトを開設。
沖縄・広島・長崎の戦争体験者・継承者が集まって継承を考えるシンポジウム「平和を若者へ―沖縄・広島・長崎を考える―」を開催。
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の管理運営業務を国から受託した。
協会20周年と国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の開館を記念して吉永小百合さんの朗読会を開催した。
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館が開館。
協会設立20周年と追悼平和祈念館の開館を記念して、4回目となる吉永小百合氏の朗読会を開催。
外国青年と長崎の青年の交流事業として「アジア青年平和交流事業」が開始。
助成制度「ナガサキ平和創設グラント」を、初代理事長・秋月辰一郎氏の名前を冠した「秋月グラント」に名称変更。
被爆の実相を伝えるボランティアガイド「平和案内人」第1期生の育成講座を開講。
インターネット会議システムを利用し、長崎に来る機会が少ない遠隔地の学校と長崎を結んで被爆体験講話を行う「ピースネット」を開始。
ボランティアガイド「平和案内人」第1期生が活動開始。
被爆60周年記念事業として、市内を走る電車内で被爆者が子どもたちに体験を語る「電車は語るあの夏の日(レトロ電車)」、中学生と被爆者が語り合う「中学生による原爆と平和を継承する集い」、「ナガサキ原爆写真展」などを開催。
国の機関として初めて「海外原爆展」を、米国シカゴ平和博物館で開催。
継承部会員が長年調べた慰霊碑等をまとめた「長崎の原爆遺跡・慰霊碑ウォークマップ」を発行。
平和案内人が自主研修として広島研修会を実施。広島平和記念資料館見学やヒロシマ・ピース・ボランティアとの交流を深めた。
継承部会員と平和案内人による初めての交流会を開催。
継承部会員と平和案内人が合同で広島研修会を開催。
ヒロシマ・ピース・ボランティアが長崎を訪問し、継承部会員・平和案内人との交流会を開催。
長崎大学の協力を得て「被爆者健康講話」を開始。
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の入館者が50万人を突破。
協会設立25周年記念事業として、祈念式典・シンポジウム・平和写真コンテストを開催し、25周年記念誌を発行。
「アジアの若者による平和ネットワーク構築を通じた平和・交流のためのプログラム」を開催。
映画の発信力を通じて、被爆の実相を伝えながら平和実現の機運を盛り上げることを目的とした「長崎国際平和映画フォーラム」を開催。
公益法人制度改革に沿って、公益財団法人に移行。
「アジア青年平和交流事業」が相互訪問形式から規格採用方式へ変更。
被爆体験を効果的に語り継ぐため「被爆体験記朗読事業」を開始。
「被爆体験記朗読ボランティア育成講座」が開講。
原爆投下を命じたトルーマン元大統領の孫らが来日し、継承部会員と面談。
開館10周年を迎えた国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の入館者が100万人に到達。記念セレモニーを開催。
被爆体験記朗読ボランティア「被爆体験記を語り継ぐ永遠(とわ)の会」として本格的に活動開始。
長年にわたり核兵器廃絶と世界平和の推進に取り組み、国際交流の推進に貢献したとして、当協会が県民表彰(優良団体)を受賞。
全ての核兵器および全ての戦争の廃絶を訴える科学者による国際会議「パグウォッシュ会議世界大会」が長崎市で初開催。
長崎市のふるさと納税の返礼品に、当協会のオリジナル商品等を登録。
核兵器の全面禁止と根絶を目的とした「核兵器禁止条約」が122か国・地域の賛成多数で採択。第30回となる「外国人と市民の集い」を開催。
被爆者の体験や平和への想いを次世代に語り継ぐため、家族・交流証言者、朗読ボランティアを国内外に無料で派遣する「被爆体験伝承者等派遣事業」を開始。
長崎市から「青少年ピースボランティア育成」、「語り継ぐ被爆体験推進」、「県外原爆展」など5つの事業の受託開始。
長崎原爆資料館図録「ながさき原爆の記録」を改訂し、販売開始。
国際基督教大学のサービスラーニングの一環として研修生を受け入れ、約1か月間の研修を実施。
「被爆体験伝承者等派遣事業」で被爆者の派遣を開始。
新型コロナウイルス感染症が流行し、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の臨時休館、平和案内人の常駐ガイド中止などの対応を行う。
YouTubeに協会の公式チャンネルを開設し、「ナガサキ被爆遺構めぐり」などの動画配信を開始。
被爆75周年事業の一環として「被爆者証言ビデオ」の制作を開始。
50か国・地域が批准し「核兵器禁止条約」が発効。
「被爆の実相の伝承」オンライン化・デジタル化事業が開始。
「県外原爆・平和展」が長崎・広島を除く全国45都道府県での開催達成。
「長崎の原爆遺跡・慰霊碑ウォークマップ」、「長崎原爆資料館 資料館見学・被爆地めぐり「平和学習」の手引書」を改訂し、販売開始。
ロシアによるウクライナへの軍事的侵攻に抗議し、理事長コメントを発表。
二度とあの惨状を繰り返さないように、被爆者の言葉を改めて届けたいと「いま世界に届けたい被爆者の言葉」をInstagramで発信開始。
長崎市が取り組む「平和の文化キャンペーン」に参加し、ラウンジコンサートなどを開催。